葬儀挨拶文
■葬儀委員長挨拶
葬儀委員長挨拶は、告別式の式辞にあたると考えてよいでしょう。一般には大型葬でみられるものです。(一部の地域では、故人葬でも、町内会長等が葬儀委員長を務めるケースがあります。)
例1)
本日、株式会社エヌジーティー会長 故 永田氏の葬儀を執り行いますことは、痛恨のきわみです。
長く小山田市商工会議所でご一緒させていただいた縁で葬儀委員長を勤めさせていただくこととなりましたので、一言ご挨拶を申し上げます。
△△会長は、明治40年9月22日愛知県一宮市でお生まれになり、大正12年に旧制中学を卒業された後、上京されまして東京製作所に勤務され、社長賞もいただくような優秀な技術者として活躍されたと伺っております。昭和5年には正子夫人とご結婚、1男1女をもうけられました。二人のお子様もそれぞれ幸せなご結婚をされ2人のお孫さんに恵まれました。
昭和16年、太平洋戦争勃発と共に応召、南方戦線を転戦され大変なご苦労をなさいました。昭和21年に帰国し奥様の出身地でありますこの小山田で永田木工所は当時3名で始められましたが、持ち前の努力で、3年後には30名の従業員を抱える町で一番手の木工所となられました。
その後、アイディア豊かな才能を発揮され、様々な事業に進出されました。昭和30年にはNT食品、昭和35年にはNTインテリア、昭和46年には永田興産を設立されました。
昭和50年には、それぞれの会社を合併、従業員380名年商100億円の小山田市を代表する総合産業としての株式会社エヌジーティーを設立されました。
翌昭和51年には、「年寄りがあまり長く経営していると会社まで老衰するから」とおっしゃり、社長を現在の波川誠社長に譲られ、会長に退かれました。
その見事な進退の対処の仕方は大きな話題となり、大勢の方から賞賛を浴びました。
永田裕康会長は、地元小山田のためにも大きな活躍をされました。防犯会長、商工会議所会頭、体育協会会長その他を歴任されました。その深い人格故に、何回となく市議会の議員にという勧めもございましたが、「私は商人であって、政治家ではないから」と固辞されました。
社長を退かれた後は、ライバル会社の方の経営相談にも「私は現役ではないからかまわないよ」と親身になって応ぜられるなど、町の人々の良き相談相手となっておられました。
永田会長、あなたは、あなた自身が種をまいて育てられた株式会社エヌジーティーだけでなく、小山田市全体の財産であられました。あなたを失ったことは誠に残念です。しかし、あなたは立派にそのご生涯を走り抜かれました。私たち市民全体の誇りです。
安らかにお休み下さい。

平成○年○月○日
小山田市商工会議所会頭
葬儀委員長 本田清次
これは、実業家として成功し市のために貢献された方に対する葬儀委員長としての挨拶例です。式辞にあたるものですから、故人の生涯と功績を紹介する形をとっています。その中で、エピソードをはさみながら、自然に故人の人柄を紹介しています。「故人の遺徳を偲ぶ」といってもわざとらしい褒め言葉の羅列は印象に残りません。さりげなく、実例の中で紹介した人となりは聞く人に実感できるものとなっています。
(例2)
故 中村誠二会長の葬儀を株式会社中商の社葬をもって執り行うにあたり、会社を代表して一言ご挨拶を申し上げます。中村誠二会長は、大正9年宮城県古川市にお生まれになりました。
慶応大学法学部をご卒業後、株式会社高商に勤務されました。昭和30年、株式会社中商を設立され、依頼社長として常に陣頭に立ち、会社の今日を築き上げられました。昨年5月にご病気のため社長を辞任され、紀子夫人の手厚い看護の下で療養されておりましたが、平成4年3月21日午前1時頃、ご逝去されました。病名は肝臓癌でございました。享年73歳でございます。
会長は、根っからの営業マンでした。といっても性格は温和で、押し付けがましいところの全くないお人柄でございました。情報を細かに整理して、相手のニーズは何かを正確につかみとられ、そのニーズにあった商品を提供することを心がけておられました。
「自分の得にだけなって、お客様のお役に立てない商品は売るな」と言うのが口癖でした。
今でも心に刻まれている会長の言葉を紹介させていただきます。
一つは「野球でも3割ヒットを打てば大打者じゃないか。失敗は恐れるな」です。断られて、がっかりして会社に戻ると決まって聞かされたものです。
もう一つは「フォローをきちんとしろよ。商品を売るだけでなく、使われるところまで見とどけなさい。お客様にとって価値があるか無いかは使ってみてからだよ」です。
全てを紹介はできませんが、私たちにとって会長は、営業マンとはどうあるべきか、ということを一から十まで教えてくれた先生でした。おかげさまで、お客様の信頼を得られる社員となり、また会社となれたと感謝しております。ご参列の皆様、本日はご多用にもかかわらずご会葬いただきありがとうございました。会長は私どもにとってかけがえのない存在であっただけに、社員一同大きな衝撃の中にあります。私どもはこれを乗り越え、会長の精神を体に刻み込み、一層信頼される商品の提供に勤めていく所存です。これが会長に報いる唯一のことであると思います。
皆様のご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

平成4年3月25日
株式会社中商代表取締役
葬儀委員長  相馬啓太
社葬としての代表的な挨拶例です。故人の生涯を紹介し、故人の仕事における人柄を会社精神として紹介。最後にこれを継承していく決意を述べるというスタイルになっています。立派だった、偉かったと言葉を尽くすよりも、故人の説得力のある、モットーを紹介することが効果を発揮しています。代わりにエピソードを入れても良いでしょう。地域によっては、小規模の葬儀でも葬儀委員長が立てられることがあります。その例を最後に紹介しておきましょう。
(例3)
この商店街で、いつもさわやかな笑顔と親切さで皆様に愛された、故 佐々木タエさんのご葬儀にあたり、葬儀委員長として一言ご挨拶申し上げます。
佐々木タエさんは明治44年生まれですから、享年81歳です。一昨年、ご主人の昭夫さんが先立たれましたので、ご家族は寿夫さんご夫婦とお孫さん1人です。嫁姑の争いもない、みんなが羨む仲のよいご家族でした。また、皆さんが働き者です。タエさんも今年に入って入院するまでは、店番をするなど働いておりました。
皆様もご存知のように、タエさんは世話好きでした。タエさんのお世話のおかげで、この町内でも7組の夫婦が誕生しました。その子供を含めると28人になります。タエさんの家の正月は、ですからいつも大入り満員状態でした。タエさんがチャンチャンコに身を包み、真ん中でニコニコしていた様子が思い起こされます。
寿夫さん、おばあちゃんが亡くなり、お淋しいことでしょう。でも、おばあちゃんはきっといつでもご家族を守ってくれるでしょう。
タエさん、ご主人の昭夫さんと一緒に、寿夫さんご一家とこの町の皆を見守ってください。

平成4年5月20日
村田商店会会長
儀委員長 川俣大介
親しい間柄のときは、格式ばるよりも、自然に親しみがにじみ出るほうが聞いている人の心を打ちます。その際に、一言一言をゆっくり区切るように述べられるとよいと思います。葬儀委員長挨拶というのは、関係によって変わってきます。3つの例でしたが、おわかりいただけたと思います。
1、挨拶文トップ 2、喪主挨拶 3、葬儀委員長挨拶 4、弔辞(お別れの言葉)
5、弔辞Q&A 6、ご会食挨拶
お葬式(葬儀・家族葬・社葬・音楽葬・自由葬など)のお問い合わせは
24時間受付・年中無休 
葬祭総合サービス 有限会社福島屋 東京都杉並区高井戸西1-1-33
フリーダイヤル 0120-2860-29 電話 03-3334-2860 FAX 03-3331-8805
http://www.fukushimaya.com
webmaster@fukushimaya.com